2011年12月2日金曜日

それぞれのみじめさを持ち寄ったら、自分のみじめさを持ち帰りたくなる

そじ(1)日本の国には、さまざまな問題点がある。新卒一括採用。インターネット、グローバル化の時代にそぐわない大学入試。日本をよくするために、これらの課題に取り組むことは大切なこととして、世界の中で、日本だけがみじめなのかと言えば、そんなことはない。

そじ(2)心理的な遠近感というものがあり、遠くのものは、良い部分がよく見える。自分自身のことは、悪いところがよく見える。公平に見て、日本が抱えているみじめさは、アメリカやイギリス、中国が抱えているさほど 変わらないだろう。大切なのは、行き交うことなのだ。

そじ(3)アメリカ人と話していると、ワシントンの連邦政府に対して、日本の霞ヶ関と同じくらい激烈に批判するし、教育システムについても、日本の文科省と同じくらいにサイテーだと言う。自分の国のことは、いろいろとアラが目立つのだ。

そじ(4)イギリス人と話していると、イギリスの社会がいかに腐敗して、ダメになっているかとよく話す。「日本人はとりわけ自虐的」だというのは全くの俗 説で、どの国でも心ある人たちは現状を嘆き、憤慨している。ただ、遠近法の中で、そのようなマイナスの要素は消えていってしまうのだ。

そじ(5)交易という視点から見れば、ダメなところを交換しても仕方がない。だからこそ、遠くの人の良いところを、見つけようとする。結果として、うちに 籠もった忿怒のエネルギーは抜けていってしまう。隣りの芝生が青く見えるのは、グローバルな交換経済のいわば宿命である。

そじ(6)日本の国のよいところも、遠近法で外に出ると初めてわかる。人の営みと自然が調和した「里山」の景観や、「おまかせ」という料理の提供の仕方、さまざまなクオリアに対する感受性など、外から遠くから見て、はじめてわかる日本の良さがある。

そじ(7)大切なのは、遠近法である。そして、内側からの視点ではなく、「遠く」から見てなおも残り、際だつ問題点こそが、その国の本当の課題である。私は、「新卒一括採用」や「大学入試」の問題は、遠くから見てもなおも目立つ日本の問題点だと、一貫して考えている。

そじ(8)ところで、私たちが、それぞれのみじめさを持ち寄ったとしたらどうだろう。イギリス人はイギリスの、アメリカ人はアメリカの、日本人は日本の社 会のみじめさを持ち寄る。お互いに見比べて、さて、交換しますかと言われたら、私たちは、むしろ自分たちのみじめさを持ち帰るのではないか。

そじ(9)他の国のみじめさには、自分たちの身体や歴史が反映されていない。日本のみじめさには、私たちの大切な文化や履歴が映し出される。だからこそ、 私たちは、自分たちのみじめさを抱きしめる。大切に持って帰る。どんなにみじめでも、それが私たち。自分たちでなんとかするしかない。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。