2011年12月26日月曜日

科学とは、カマキリの気持ちになってみることである

かか(1)最近、ある場所で子どもたちがインタビューされるのを見ていたら、将来なりたいものとして、「科学者!」と答える子が案外多いのに驚くとともに うれしくなった。ぼくも、蝶の採集や研究に明け暮れた小学生時代で、「科学者になりたい!」と大人たちに言っていたものだ。

かか(2)子どもたちに科学に対する興味をどのように持ってもらうか。ぼくは、一つの鍵は「カマキリの気持ちになる」ことだと思っている。そんな話を東京芸大で授業をしていた最初の頃に言ったら、今でも覚えている学生がいるので、今朝はそのことを書こうと思う。

かか(3)秋の野でカマキリを一匹見たとき、「ああ、いるんだ」で片付けてしまわないで、そのカマキリの気持ちになって一生をたどってみる。まずは、生まれたとき。あんなに小さいのに、一体何を食べて育てばいいというのか。

かか(4)カマキリは結局自分が食べた分しか大きくなれない。余裕になって蝶でもバッタでも取り放題になったらいいとして、卵から孵化して小さいときに、 か弱いカマで何を食べるのか。そんな風にカマキリの「気持ち」になって想像してみることで、科学に対する興味がわいてくる。

かか(5)カマキリは小さい時にはアブラムシなどを食べているようなのだが、そこから始まって、徐々に大きな獲物に「アップグレード」していく。自分がと れる獲物をどうやって判断しているのか。自分の身体の大きさと、相手の大きさをどうやって比較しているのか、想像始めると興味は尽きない。

かか(6)川を泳ぐ魚を見て、「ああ、いるんだ」で済ませないで想像してみる。流れに逆らって泳いでいないと、同じ場所にとどまれない。大雨が降って濁流 になったときは、どうやって同じ場所にいるのか。小石の下に隠れる? あるいは、流されてしまう? それから、時間をかけて戻っていくのか?

かか(7)自然の中に息づく生きもの、物体を見て、「ああ、あるんだ」と片付けるんじゃなくて、そのものの気持ちになって、どうなっているのか想像してみ る。科学とは、つまりは他者の気持ちを思いやることであり、他者の気持ちになって、どのように成立しているのか想像してみることである。

かか(8)りんごが落ちるのを見て、「ああ、落ちるんだ」で片付けなかったからこそ、ニュートンは万有引力を発見できた。光を光のスピードで追いかけたら どうなるのかと、光の気持ちになったから、アインシュタインは相対性理論をつくれた。他者の立場になって想像するところから科学は始まる。

かか(9)テクノロジーに対する興味も同じこと。コンピュータやスマートフォン、インターネットが、「ああ、そういうのあるんだ」で片付けないで、どのよ うに動いているのか、スマホやネットの気持ちになって想像すれば、科学への興味がわいてくる。科学する子とは、他人の気持ちがわかる子である。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。