2011年12月12日月曜日

本が人生を変える

ほじ(1)今朝、トイレに入っているときに、「そういえば、イギリスに留学しているときにLevyのInsanely Greatを読んで、ITとか、コンピュータに関する考え方が一変したんだったなあ」と思った。それから、人生を変えるきっかけになったのは、実際に本が 多かったなと思いだした。

ほじ(2)小学校5年生の時にたまたま図書館で読んだ「赤毛のアン」が、「もう一つの生き方」に眼を開かせた。初めて、日本の文化や生活を相対化する視点を与えてくれたのだろう。外国の文化に対するあこがれ。英語に対する興味。その後のいろいろなことが始まった。

ほじ(3)これも、小学校5年の頃に読んだアインシュタインの伝記で、ぼくは将来科学者になると決めてしまった。相対性理論のような革命的な理論をつくるということが、この世でもっとも深遠で、かっこいいことだと確信してしまったのだ。

ほじ(4)これも小学校の時に読んだ夏目漱石の『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』などなどで、ぼくの中に小説というものの絶対基準が出来てしまった。言葉で一つの架空世界を綴る面白さと難しさは、漱石に教えてもらったといってもよい。

ほじ(5)中学生の時に読んだ小林秀雄、高校の時に読んだニーチェ、カント、ミルトン・フリードマン、マルクスやエンゲルス。いろいろな著者の本が、自分の人生観を変えてくれた。一過性ではない、深いところにおける変化を、これらの本はもたらしたのである。

ほじ(6)脳の研究を始めるきっかけになったのも、一冊の本。大学院生の時に読んだロジャー・ペンローズのEmperor's New Mindで、人間の知性というものの不思議さに痺れた。もっとも、クオリアの問題意識に気付くのは、それから数年後のことになる。

ほじ(7)なぜ、一冊の本が人生を変えるきっかけとなるのか。本は言葉の森であり、脳の意味や志向性のネットワークに近しい。そして、断片的な時間ではなく、じっくりとつきあうことで、主体性の一番コアの部分が、ゆっくりと影響を受け、書きかえられていく。

ほじ(8)だから、ぼくは思うのだ。人は、自分が読んだ本を積み重ねて、その上に立った高さから、世界を見るのだと。たくさんの本を読めば読むほど、それ だけ高いところから、広く遠い世界をながめることができる。変化の触媒として、本ほどの体系性と持続性を持つものはない。

ほじ(9)今、人生で何度目かの濫読期を迎えているのは、変化への胎動を感じているからだろう。もっとも、専らiPad上のKindleで英語の本を。日本の本の世界が電子書籍化に遅れをとる中で、日本の出版業界はすっかり周回遅れになってしまった。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。