2011年12月4日日曜日

『巨人の星』に見られるように、「道」は日本人にとって空気のように自然なことであった

きみ(1)私が子どもの頃に大いに影響を受けた作品の一つに、アニメ『巨人の星』がある。土曜の19時から日本テレビで。ちょうど小学校に上がる頃に放映されていた。父がいると、「七時のニュース」に換えられてしまうので、悲しかった。

きみ(2)なぜ『巨人の星』に惹き付けられたのかと言えば、「自分を乗りこえていく」その克己の精神に共鳴したのではないかと思う。今の自分の限界を超えて、新しい自分になる。そのプロセスで凄まじいまでの努力をする。その感覚が、6歳くらいの私に、ちょうどはまった。

きみ(3)星飛雄馬は、大リーグボール養成ギブスをつけて剛速球投手になる。しかし、欠点があった。体重が小さいため、球質が軽いのだ。ピッチャーとして致命的な欠陥。野球選手としての生命が危うくなるが、ここであきらめるような飛雄馬ではない。

きみ(4)飛雄馬は、禅寺にこもって座禅する。何度も打たれてしまう。老師に、「打たれまいと思うから打たれる。打たれてもかまわない、いや一歩進んで打ってもらおう。そう思って開き直った時に道が開ける」と諭される。

きみ(5)老師の言葉がヒントとなって、相手のバットめがけて球を投げる魔球、大リーグボール1号ができあがる。荒唐無稽なフィクションだけれども、子どもの頃、本当にできると思って仲間たちと練習した。オレたちはそのとき本気だった。

きみ(6)『巨人の星』は、スポーツを、自己鍛錬の「道」としてとらえる。今の自分の限界を見つめ、それを乗りこえようとすること。『アタックナンバー 1』でも、『エースをねらえ』でも、『キャプテン翼』でも、日本人にとってはスポーツが「道」であることは、ごく自然な感覚である。

きみ(7)だから、以前ロサンジェルズタイムズの記者に真顔で聞かれて驚いた。「日本人は、なぜ野球選手に人生哲学を聞こうと思うのか? アメリカでは、彼らはアスリートでエンターティナーではあるけど、その哲学を聞こうとは思わない」と言われたのだ。

きみ(8)今の自分を乗りこえて、それを克服していこうという態度。それが、スポーツにおいてごく自然に結びつくのは、日本人が特に強く持っている一つの文化的態度であり、それが空気のように自然なので、私たちはその価値をふだんは忘れてしまっている。

きみ(9)スティーヴ・ジョブズが禅宗の僧侶に「心を整える」ことを教えられて活かしたように、最近ではむしろ国外から日本の「道」の伝統の良さを教わる ことも増えてきた。ネット上で、他人を揶揄、批判して低コストの満足を得る人が増えてきているのを見ると、日本の「道」もどうやら危うい。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。