2011年12月14日水曜日

やってはいけないと思い込んでいる壁を、突破すること

やと(1)伝説で、本当かどうかわからないが、ラグビーの起こりは、サッカーをやっていた少年が興奮してボールを持って走り出したことだと言う。たとえ事実でないとしても、「脱抑制」のスタートダッシュを表現して、印象的である。

やと(2)人間は、「やってはいけない」と勝手に思っていることがたくさんある。その範囲で自分の行動をついつい制約してしまうのだけれども、実際には、本当はやってもいいのである。その壁を乗りこえたとき、新しい人生が始まる。

やと(3)イギリスにミッチェルという人がいて、ATP合成の化学浸透圧説でノーベル賞をもらった。この人は変わり者で、学会の定説に異を唱え、田舎の一軒家に自分で実験装置をつくって、勝手に実験していた。

やと(4)田森佳秀に聞いた話なのだが、ミッチェルが日本に来て話したときに、日本人の研究者が、「研究費はどうしていたのですか?」と聞いた。ミッチェ ルは、ちょっと恥ずかしそうに、「私は、たまたま財産を持っていたのです」と答えた。その瞬間、田森の脳の中で脱抑制が起こった。

やと(5)何ごともお上が好きな日本人のメンタリティだと、国から科研費をたくさんもらっている研究者が偉いという思い込みがある。ところが、自分の金を使って勝手にやっていいんだ、と思った瞬間、ぱっと解放される。最初から解放されてしまっている国や個人もいる。

やと(6)昨日読んだUSA todayの記事。アメリカではエージェントや出版社を通さないで自分で勝手に電子出版する著者が増え、ベストセラーが次々と誕生。自分で出版するのは vanity publishingだとそのstigma(悪印象)を避けていたのが、「やっちゃえ」となった。

やと(7)本を「ちゃんと」出すには、やはり「ちゃんと」した出版社から、「ちゃんと」出さないと、ダサイ自費出版だと思われる。そんな思い込みから、電 子出版のシステムは著者たちを解放しつつある。まさにビッグ・バン。でも、どれくらいの思い込みが、私たちをまだ縛り付けていることだろう。

やと(8)大学に行かないと学問ができないという「思い込み」もそうで、恐らくは現代では無意味。そもそも日本の大学は、文科省管轄の「学位」の独占企業。国からの設置基準の「お墨付き」をもらっているというだけの話で、現代文明を生き抜く力の実質とは無関係。

やと(9)とにかくやっちまえよ。それが、学生の時に読んで感動したミルトン・フリードマンの『選択の自由』のコア・メッセージ。日本人は、自分たちで規 制していることがたくさんあるよね。法律で禁じられていることじゃないよ。誰も禁じていないのに、勝手に自分たちでできないと思い込んでいる。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。