2011年12月23日金曜日

和文英訳、英文和訳はやるな

わえ(1)先日、たままた某大学の入試問題を見る機会があったら、和文英訳、英文和訳が相変わらす出題されていた。私の主張は、これらの学習法は今の時代 に全く意味がないというもの。大学は、これらの出題をすることで、若者の貴重な脳時間を奪っている。即刻廃止することを主張したい。

わえ(2)そもそも、なぜ英文和訳、和文英訳が定着したかといえば、特に前者は、日本の「翻訳文化」の伝統の中にあったから。漢語を日本語化したのは、私たちの祖先の偉大な業績である。明治以降、日本語で学問ができるようになったのも、翻訳文化のすばらしい功績である。

わえ(3)英文和訳は、特に、日本の大学の「文化系」の教授たちの、いわば「基礎トレーニング」であったことは事実である。文系の学問は圧倒的な輸入超 過。いわば輸入業者だったから、英文和訳を出題するというのがごく自然な発想であった。輸入自体に価値があったから、それでもよかった。

わえ(4)ところが、時代が流れて、グローバル化とインターネットの発達により、もはや英語は「lingua franca」(使えて当たり前)のものとなり、いちいち翻訳フィルターを通す日本人の習い性が、時代遅れのものとなった。未だに英文和訳をやっているの は、時代錯誤もはなはだしい。

わえ(5)たとえていえば、サッカーでボールが来たのに、直ちにドリブル、パス、シュートをせず、足元でごにょごにょやっているようなもの。かつてはそれ でも良かったけど、もはや、lingua francaで直接やりとりする時代に、それではグローバルな舞台で日本人が活躍できぬ。

わえ(6)大学の役割とは何か? その時代の最先端の学問を学生たちに徹底的にたたき込み、自立して活躍資質を涵養することだろう。相変わらず「輸入学 問」「翻訳文化」の中にある大学の文系学部は、この時代の要請に応えていない。足元でボールをごにょごにょやっていないでさっさとパスしろ!

わえ(7)和文英訳はさらに陳腐である。これを英訳しろ、と示される日本語が、意味不明でわけのわからないものであることが多い。そもそも英語ではそんな 発想をしないよ、というような代物。英語が得意な人でも、「なんじゃ、こりゃ?」と首をひねるような出題が多い。受験生かわいそう。

わえ(8)母語が大切なことは言うまでもない。日本語は日本語で徹底的にやる。英語は英語で、(日本語を介在させないで)徹底的にやる。両言語に通じれ ば、和文英訳、英文和訳など、(もしその必要があれば)できるさ。もちろん、文学翻訳者のような熟練は別だが、ほとんどの人にそれは必要ない。

わえ(9)結論。大学入試、あるいはそこに至る教育課程で、「和文英訳、英文和訳」を課すことは時代錯誤であり、日本の大学の文系研究者の特殊な文化に過 ぎない。英語を読み、英語で話し、英語で書くという「直接性の原理」が必要な現代。英文和訳、和文英訳は即刻入試から廃止することを主張する。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。