2011年12月20日火曜日

かよわさの原理に基づいた文明

かぶ(1)北朝鮮の金正日総書記が死去した。報道によれば、視察中に列車の中で心筋梗塞になったという。それが事実だと仮定して、そのときの光景を想像し てみる。総書記に異変が生じ、周囲のひとたちがあわてふためく。おつきの医者が必死になって処置をするが、異変をどうすることもできない。

かぶ(2)周囲の人は青ざめるが、総書記の肉体の中で起こっている不可逆変化をどうすることもできない。他の不祥事であれば、責任者が捜し出され、あるいはでっちあげられ、厳しく糾弾されるだろうけれども、総書記の肉体に起きた異変だけは、誰もどうすることもできない。

かぶ(3)北朝鮮の中では、総書記は偉大なる指導者であり、核兵器をつくり、ミサイルを配備し、「強盛大国」をつくりあげた恩人ということになっていた。 すべてを支配し、指導するいわば「スーパーマン」。その「スーパーマン」が、自分の心臓だけは、どうにもコントロールすることができなかった。

かぶ(4)「独裁者」の「権力」は、人間が生み出したもっともやっかいな「幻想」(イリュージョン)であろう。実際には、どんな人間にもかよわく、いつその脆弱性から倒れるかわからない。核兵器、ミサイル、強盛大国。威勢の良い言葉を並べても、本人のか弱さは変わらない。

かぶ(5)日本は、政治については比較的幻想から自由な国である。首相や首相経験者に会っても、かよわさの印象は変わらない。万能で強力な首相という幻想 を、私たちは持っていない。むしろ、指導者の性格の欠点や無能力を把握した上で、そのリーダーシップに微温的な期待を込める。

かぶ(6)国家の運営において、幻想(イリュージョン)が占める割合が高くなればなるほど、この世界の現実から離れていく。「強盛」は最大の幻想の一つだ ろう。実際には、どんな指導者も、組織も、かよわく、脆弱である。もちろん、一つの国家も。かよわさの認識は、市場における競争と整合する。

かぶ(7)成熟した民主主義の国では、指導者がかよわいと認識したまま、ほんのちょっぴりの「カリスマ性」という幻想のかけ薬で、政治権力につくことがで きる。しかし、その権力の座も、いつ奪われるかわからない。流血なしに権力交替ができる。それが、かよわさに基づく文明の姿である。

かぶ(8)首相も、幼稚園児も、高校生も、ごく普通のサラリーマンも、24時間を精一杯生きていることには変わりない。どちらがより「強盛」で、「万能」ということはない。そんな成熟した世界観を持つ文明の方が、結局は全体としては強靱で、持続可能なものになるのだろう。

かぶ(9)私がもし北朝鮮の人と会うとしたら、彼らの「強盛」の「幻想」(イリュージョン)ではなく、その息づかいにこそ耳を傾ける。忌野清志郎の名作『あこがれの北朝鮮』(http://bit.ly/fTeUvD )から伝わってくるのも、強がりの向こうのかよわさに対する感受性だ。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。