2011年12月3日土曜日

システムは揺るがず、反逆は青ざめる

しは(1)名古屋から帰ってくる新幹線の車内で、まずはみそかつえびふりゃー弁当をたべ、それから新潮社の金寿喚さんとよしなしごとを話ながら帰ってきた。東京まで約90分。いろいろ話すことがあったので、あっという間についた。

しは(2)新書の企画のことなど、いろいろなことを話す中で、「システム」の話になった。何かまだ名付けられていないものがある。さまざまなできごとが あっても、あっという間に吸収され、陳腐化し、忘れられてしまう。「システム」に対する態度をどうするかが、私たちの課題になる。

しは(3)Googleは一つのシステムである。梅田望夫さんが指摘されたように、私たちがいろいろな活動をする中で、googleは次第に賢くなっていく。すべては検索の空間の中で消費され、連絡され、そして私たちはそこにぶらさがるノードになる。

しは(4)資本主義も、一つの強固なシステムである。社会主義的な考えかたさえ、自分の中に取り入れてより強固なものとした。環境思想など、資本主義に対する挑戦として表れた動きは、やがて回収、吸収されて資本主義を増強する結果となる。

しは(5)しかし、私たちを取り囲んでいる「システム」は、資本主義や「google」をその中に含むが、より包括的で強固な、未だ名付けられていないものなのではないか。それは個々の国家さえも超えて、一つの分かちがたい存在を、この地球上に現出させている。

しは(6)ウィキリークスが登場したとき、国家というものの存在が揺らぐように感じられた。ノーベル平和賞の権威を中国が拒否した時、価値の体系を無視し て動く主体の登場を見た。アラブの春が、新時代の到来を告げた。しかし、これらの全ての動きも、やがて「システム」に回収される。

しは(7)フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」を書いたが、今、世界は確かに一つの「終わり」を迎えている。主権国家も、「システム」の一構成要素で しかない。アメリカやロシアの大統領が「権力者」であると言い方は、茶番のようにさえ見える。彼らもまた、システムにぶら下がるか弱き子羊。

しは(8)核保有国の指導者たちは、理論的にはボタン一つで全面核戦争を起こす力を持つが、そのような状況が継続していることと、彼らが一市民と何ら変わ らない、システムにぶらさがる脆弱な人間であることの間で、喜劇が演じられている。大国の大統領だって、翻弄される木の葉に過ぎぬ。

しは(9)システムへの反逆は、若者の特権だったが、資本主義の打倒やインターネットへの反対運動が無効であること以上に、反逆が意味を持たないシステム が、世界を覆いつつある。その正体が何なのか、まだ誰も名前をつけていない。それはグローバル化の必然的帰結なのだろう。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。