2011年12月22日木曜日

贈り物によって豊かになっているのは誰か

おだ(1)クリスマスの季節である。以前はMerry Christmas!と言っていたが、最近は、「政治的に正しい」Happy Holidaysという表現が多いようだ。人々が集い、街を贈り物が行き交う。今朝は、この「贈り物」ということについて考えてみたいと思う。

おだ(2)贈り物では、何がやりとりされているのか? O・ヘンリーの名作『賢者の贈り物』では、恋人たちがお互いに贈るものが、それぞれ役に立たないものになってしまう。それでも彼らは幸せである。お互いに対する「思いやり」が交換されたと感じるからだ。

おだ(3)役に立つもの、高価なものというよりは、相手のことをどれくらい考えたか、ふさわしいものを選んだかというその「準備」にこそ、贈り物の本質が ある。つまりは、贈り手にとっては、贈る前の心と身体のエキササイズこそが、贈り物という文化のエッセンスだということになる。

おだ(4)だからこそ、プレゼントをすることは、贈り手を成長させる。子ども会で友だちにあげるプレゼント、生まれて初めて贈るバレンタインのチョコ、誕生会に呼ばれた時に持っていくもの。何を持って行こうと一生懸命考えることで、その贈り手の方が成長するのだ。

おだ(5)贈り物によって豊かになるのは誰か。受け取り手の「富」が増大しているように見えて、交換時にすでに成長しているのは贈り手の方であろう。相手 のことを考え、自分をそこに反映し、街を歩き、棚を探しているその時間の中にこそ、贈り手を成長させる「賢者の贈り物」があるのだ。

おだ(6)大学で授業をしている時など、これは一生懸命「贈り物」をしているんだなと感じることがある。それを受け取ってもらえるかどうかは、相手次第。 どれくらい残るかもわからない。それでも、温泉のかけ流しのように、ありったけのものを、目の前にいる人たちに伝えようとする。

おだ(7)自分の話したことなど、ちょっとほろりとさせたり、なるほどと思ったり、感動させたりできたとしても、ほとんどはこぼれ落ちて記憶から消えていってしまうのだろうと思う。自分の大学時代に聴講した授業のことを思いだしても、全くその通りである。

おだ(8)だとすれば、話し手こそが、その贈り物をするという行為を通して、まずは豊かになっている。そのうちの某かが、受け取り手にも感染する。話す行 為だけではない。私たちがネットで何かを表現する時にも、まずは「贈り手」の成長がある。それが、時々、ノイズのように他者にも伝わる。

おだ(9) Season of goodwill. 他者に対する善意や思いやりこそが相応しい季節。贈り物をすることによって豊かになっているのは、まずは自分だということを認識して、有形無形の贈り物を してみてはいかがだろう。Happy holidays everyone!

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。