2011年12月7日水曜日

尾道でぼくも考えた

おぼ(1)東京芸大で教えていた頃の学生、津口在五が生まれ古郷の尾道に帰っていて、シネマ尾道で行われる「東京物語」の上演後のトークに誘ってくれた。津口だし、尾道だし、東京物語だし、二つ返事で行くと答えた。

おぼ(2)尾道の「坂道の街」は、今素敵なことになっていて、「空き家プロジェクト」で古い民家を再生し、若者が住み着く動きが出て来ている。象徴的なのは「ネコノテパン工場」で、最初にその姿を見たとき、あまりにもファンタスティックで呼吸が止まるかと思った。

おぼ(3)尾道の「坂道の街」では、AIR(アーティスト・イン・レジデンス)の活動も行われていて、芸術家たちが一定期間住み着いて、作品をつくる。二 つ見たけれども、どちらも素晴らしい出来で、尾道がアートの街として力を持っていくプロセスの目撃者になっているような気がした。

おぼ(4)尾道大学の存在も大きい。経済や美術の学科があり、尾道大学に進学したことがきっかけとなって尾道の街並みや風土が好きになり、そのまま住み着 いてしまったという若者も多い。魅力的な景観と、大学と。一つの街が新たな生命を得る一つのモデルケースが、尾道にあった。

おぼ(5)シネマ尾道で、小津安二郎の『東京物語』を見た。世界の映画人にこよなく愛される神品。幾度となく見ている作品だけれども、ロケ地の尾道で観賞 することには、独特のよろこびがあった。尾道の街は、実にこの作品で、人類の文化史に永遠の足跡を印したと言ってよいだろう。

おぼ(6)『東京物語』の中での、尾道の描かれ方が素敵である。老夫婦が尾道から東京に旅する。子どもたちは、それぞれの仕事に追われて、十分に愛情を示すことができない。「文明の圧迫」の下で、人間として本来大事なことを、忘れてしまっているのだ。

おぼ(7)ただ単に、その人がそこにいるから愛しみ、大切にする。そんな幸せの原理を、「東京」の子どもたちは忘れている。仕事や、勉強や、人間の能力を 量り売りし、取引する「市場原理」の下で、年老いた両親に対する 温かい気持ちを、十分に表現することができないでいる。

おぼ(8)『東京物語』の中の尾道は、夏目漱石も『坊っちゃん』の中で描いた私たちを駆り立て、せわしなくする「文明の圧迫」(その中には大学入試も、新卒一括採用も、TPPも入っている)への対抗原理の場として描かれることで、永遠の生命を得ることになった。

おぼ(9)尾道の街のリズムは、映画にあっている。尾道に旅して、シネマ尾道で映画を観る。そんな旅のスタイルが定着するのではないか。『東京物語』は、 できれば定期的に常に観賞できるようになってほしい。文明の圧迫から離れ、日常生活を見直す大切なきっかけになるはずだ。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。