2011年12月5日月曜日

赤毛のアン症候群。自分が一番イヤだと思っている特徴が、実はチャームポイントになることがある

あじ(1)『赤毛のアン』(Anne of Green Gables)を小学校のときに読んで好きになり、高校では英語で全部読んだ。プリンスエドワード島にも行った。というような過去をカミングアウトしたの は数年前のことであるが、この小説にはいろいろ面白いところがある。

あじ(2)名作というのはなんでもそうで、あとで「はっ」と気付くことがたくさんある。ずっとあとになって「なるほどな」と思ったのが、アンの赤毛。本人 はこれがイヤで仕方がない。自分の人生の、致命的な欠点だと思っている。赤毛であるかぎり、完璧な世の中などないとさえ。

あじ(3)ところが、周囲から見ると、そうでもない。むしろ、赤毛はアンの魅力でもある。自分から見るとイヤで仕方がない自分の特徴が、他人から見れば魅力的なポイントであること。このギャップを、「赤毛のアン症候群」と名付けよう。

あじ(4)後にアンと結婚することになるギルバートも、ひと目見てアンを素敵だと思ったのである。男の子が好きな女の子に対してよくやるように、ギルバー トも、その魅力的な特徴であるアンの赤い髪の毛をひっぱったのであるが、これが、数年間にわたる「冷戦」を引き起こすきっかけとなった。

あじ(5)アンからすれば、自分という存在の最大にして拭いがたい欠点である「赤毛」を、ギルバートにからかわれたと思ったのである。たしかに、ギルバートは引っ張りながら「ニンジン!」と言ったのであるが、それは、 単なるたとえにすぎなかったのである。

あじ(6)他人から見ればそれほどイヤではなく、むしろ魅力的な特徴なのに、本人がそれを気にして、隠したい、穴があったら入りたいと思っている。これは、アン・シャーリーだけでなく、さまざまな人に当てはまりそうだ。

あじ(7)私の場合でいえば、くせ毛。絶対に夜は洗わない。翌日、ぴょんぴょんしてしまうからだ。小学校の頃、髪の毛が飛び跳ねていやでたまらなかった。さらさらヘアの伊草孝志とかが、うらやましくて仕方がなかった。

あじ(8)そのもじゃもじゃの髪が、そのうち、そんなに悪くもないんだと思えてきたのは、思春期も最後の方になってからだった。もじゃもじゃの髪という自分の「特徴」を、最大の欠点と思っていた自分から開放されたのである。

あじ(9)「赤毛のアン症候群」は、思春期において特に顕著に表れるのかもしれないが、何歳になっても無縁ではないだろう。国全体としても。たとえば、日本人。自分たちが恥ずかしくて隠したいと思いがちな日本文化の特徴が、外国から見れば実は一番魅力的なのである。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。