2011年12月15日木曜日

抗議者は身体の大切さを教えてくれる

こか(1)米国のタイム社恒例の2011年「今年の人物」(Person of the year)に、抗議者(The Protester)が選ばれた。他にはスティーヴ・ジョブズ氏らの名前が挙がったが、もっとも世界に影響を与えた存在として、抗議者が選ばれたのだとい う。

こか(2)タイムの表紙で言及されているのは、「アラブの春」、「ウォール・ストリート占拠」、そして「モスクワ」であるが、日本でも、反原発のデモなど、これまでに参加しなかったような人たちが「抗議者」として注目されるに至った。

こか(3)タイムの記事の中でも触れられていたように、「抗議者」たちが登場した背景が興味深い。もともと、フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』の中 で書いたように、かつての資本主義対共産主義のようなイデオロギー対立は終わり、西欧的民主主義が唯一の勝利を収めたように見えていた。

こか(4)「歴史の終わり」を迎えた以上、通りに出て体制に抗議するという「抗議者」の役割も、消滅したように見えていた。しかし、そうではなかった。ア ラブの春や、中国におけるデモは古典的な意味で「民主主義」への移行過程のダイナミクスと見られるが、ウォール街や反原発デモはそれとは異なる。

こか(5)通りの上での「抗議者」たちの物理的存在をもたらした一つの条件は、間違いなく、フェイスブックやツイッターなどのサイバー空間でのつながりであろう。ここで注目されるべきことは、サイバー空間での「活動」だけでは、現実は変化しないという経験則である。

こか(6)日本でも、メディアの記者クラブに対する反発、批判はネット上で広がっている。それでも、記者クラブが撤廃に至らないのは、物理的な存在としての通りでの抗議者の活動が盛り上がっていないからであろう。同じことは、新卒一括採用や、大学入試についても言える。

こか(7)すなわち、フェイスブック、ツイッターといったソーシャル・メディアは、意見や考え、情報を交換する場としてはすぐれているが、最終的に現実的な変化をもたらすものは、依然として通りの上の抗議者という物理的存在であるという経験則が成り立つのである。

こか(8)なぜ、サイバー空間上の「抗議者」ではなく、通りの上の物理的な「抗議者」こそが変化をもたらすのか。インターネットが新しい文明を定義しつつある現在、この問題は、単に社会における活動のあり方という文脈を超えた、普遍的な意味を持つと言えるだろう。

こか(9)ネットだけでは足りない。自分の身体を動かさなくてはならない。そんな真実を教えてくれる「抗議者」の経験則。学校や会社、国といった物理的実 体がネットによって相対化されつつある今、「抗議者」たちは私たち人間の存在について、現代における「へそ」のようなものを教えてくれる。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。